2013年2月4日月曜日

映画 Les Miserables について(映画紹介ではなく政治的意見を含む感想です)

レミゼラブルについて: 映画的にクオリティはあったが、たまたま日本の一部反欧米反共反大国核武装推進や核兵器開発可能にする再処理推進政党の台頭傾向からちょっと気になる「なんでも武装・暴力」への流れへの後押しにならないでほしい、レミゼラブル(「英国王のスピーチ」監督ティム・ハーパー)。 Les Miserables のような状況にしないことこそが 平和的対話的人権保障の為の政治と政治的表現や政治的活動に必要なことであり、 そのために、私自身も含めみんな表現活動を行っているということなのではないのか? 政治活動は暴力ではない。 政治活動を完全に圧殺抑圧封殺するような政治が政治となった時にしか認められない 最悪極限的な状況法制度政治制度(維新の会みんなの党生活の党未来の党(勝手連4党)が進める議員定数半減、一院制、官僚廃止、洗脳電波による嘘喧伝と嘘洗脳選挙によるだれでもなれる議員さまさまさまの独裁政治を行政運営も優秀官僚も国民の為に予算を使えと言えない「政治の時代」と称する政治家独裁の時代、実質的憲法破壊、徴兵制核武装、核兵器製造を隠すMOX原発への全すり替えを「脱(卒)原発」と呼ぶ大ウソでも「反欧米。反共、だから反人権、一般的には言語能力や会計マネジメント能力の資格制度などについては反能力主義でも会社の利益留保を増やすための「汚れ仕事」絶賛」という企業利益のための反人権反政府反国家反税金原理洗脳や「「国家の為の」「アジア人民の為の」「行動」主義」などで暴力や嘘やいじめ精神的恒常的「職務としての」虐待屋などを絶賛する空気こそが反人権で利益を一部の企業だけで分け合い国民は飢えても当然というまさに維新の会、みんなの党(とにかく何が何でも国民への公的ービス削減で法人税減税20%減)や生活の党未来の党のように平気で軍次産業推進使用済み核燃料再処理MOX原発への転換の危険増大推進が作る世の中における、庶民の反人権(人を食べる)な状況を、たとえば未来や生活の支持者が勝手連政党政策(税金は企業の為国民は税金の為に)のなんたるかを理解できず大よろこびで「暴力革命市民武装」への流れをうっとり見ては最初っから泣きまくるのは喜劇というかお笑いというかとんまというかまぬけというか、ばかげた狂信嘘洗脳にやられているとかくも愚かかと思わざるを得ない。 フランス革命時のような状況でもないのに、暴動や暴力や「正義」と称する単なるねたみやマネBOTの為の嘘デマや逆にすりつけを「正当化」する状況を待っている人たち、「暴動革命」と称し、「正義」といいくるめて「正義」かのようなふりで「正義」のふりをするための嘘や詐欺を行ってまで、たとえばいわゆる「体制」派( たとえば反暴力派)を殺したりいじめたりする状況をひそかに待ち続けていたりする人たちがたくさんいるのかもしれないと思うと嫌になる。日常生活の中で異常な「わたしにだってわたしにしかなれないヒーローのかたち(つまり「革命」とその手の人たちが「あこがれ」る暴動暴力武装殺戮)がある」を「正当化」できる時代」を待っている人たちはたくさんいるのかもしれない。 維新みんな生活未来の反人権企業主義の徹底悪政を待ち望むひとたちのカタルシスの為に維新みんな生活未来への世手された「期待」や狂信?が日本中にあるのだなという気がする。 日本で見なければ少し違った感想だったかなとは思うけれど。 なぜなら、実際にはles miserable はひどい状況にどう頑張ってもなってしまい、政治的に非暴力で戦い抜いても戦い抜いても、それでも、庶民を人権を破壊する側が不条理にも勝ったために、負けていくものへの、最大の賛辞という意味であり、そのための作品であると私自身は感じる。 が、多くの日本人は、まさに、政治的な感覚が鈍磨しているためかマスコミや洗脳付のせいか、まさに、今ある自分たちの人権を守るために戦うという方向性や戦うためにともに進む相手を完全に見誤っていると言っていい。まさに若者多くがくるっている生活未来維新の会みんなの党はあの映画で主人公たちが戦う相手として孫座時している。何度も言うが、議員定数が半減すれば企業利権誘導で企業社員株主取引先下請までで企業ぐるみ選挙をする候補だけが通る。それか、統一教会や成長の家台湾原理や反欧米原理、反共原理、反大国原理、だから反人権だから核武装、だから再処理核兵器製造と原発「全廃炉」でもMOX原発大推進の原理、企業と企業株主(仕手株主、反欧米反共暴力原理株主?)のための勝手連など各原理団体が支持する候補が当選し、本来的市民人権保障の為の候補は多くが落選するが、それが勝手連政党みんなの党、維新の会、生活の党、未来の党の共同公約であることをきちんと自分で知る人知ろうとする人は少ないようだ。 すごくこっけいで、すごく笑える。 というか日本の若者に限らず年配の方も含めての生活未来維新みんなの党にむけ、「反自民、反共産、反公務員だから熱狂」といった不合理非論理的な構造の支持をもっているようだ。生活未来との「革命」にむせび打ち震えたがる人々の怖さ。日本人多くの?政治への極度の無知無関心と極度の「革命暴動反政府反国家」的根拠無きというか根拠がずれきった異常な狂気の自己投影的集団狂信的一体感と陶酔感はふつうじゃないのでは?まさに実質的に憲法を破壊する事を目的に政治活動を税金で行う生活未来維新みんなの党。 わたしのような人権派(形式的にも実質的にも)憲法維持派憲法が国家から人権を守るという枠組みであることを守らせる側にとり、議会制民主主義の根幹議員定数の維持や立法司法行政3権の分立を破壊するそして二院制によるチェックアンドバランスを破壊する生活未来維新みんなの党、勝手連4党の実質的憲法破壊にこそ糾弾されるべき性質がある。 そして、勝手連4党へ「反欧米反共反公務員(浮かした金でお手盛り企業減税か原理公共事業なのに)反自民反共産」)暴力、市民武装)原理のスローガンに酔いまくる人たちに、この映画les miserablesもそのことばles mkiserables:真に誇るべきものたち、への真からの賛辞も、とどかないようだし、もっともふさわしくないように思える。 なぜなら、ファシズムの時代、人権保障に立ち上がる者たちは、みな、たいてい、とてつもなく、みじめでしかないからだ。そして、だからこそ、「英国王のスピーチ」は英国王のスピーチでそうであったように、そのぶざまさみじめさかなしさつらさへの思いを映画として昇華させている。 英国王のスピーチのような勝利がもしも与えられなくても、われわれはみなひとしく精一杯生きた。たとえそれがどれほどに、les miserablesであっても、われわれはその命の限り精一杯どれほどにみじめでもどのような勝算もほとんどあたえられなくとも、せいいっぱい人間として生き物としての誇りと尊厳と知恵と相互互助と暴力回避の限りを尽くし、最後には力と知恵がつき、暴力と圧政と反人権の法律化におしつぶされ、暴力に正当防衛として立ち上がるのを拒み笑われても、あるいは凶弾に倒れても面白半分のいじめや暴力につぶされても、みな、せいいっぱい生きたのだ、がんばったのだ、人として、人権保障を十全にいきわたらせ、また、そのことを普通に求めその手立て手続法さえ失っても、ひととしての誇りと信念と論理性合理性と条理をもとめ人権をもっていきぬこうとしたということを、かっこわるくても、どれほど嘘に捻じ曲げられようとも、精一杯生きたのだと。 そこで、わたしは、最後のles miserables の最後の場面に、最後に移されるそのタイトルの言葉の意味に、この映画を撮った人々の精一杯の今そのものに、涙した。 Les Miserables とは、まさに、暴力の時代、暴力を法に変える時代に、精いっぱいみじめであっても笑われてもばかにされても戦って消えていくものたちへの最大の賛美であるからだ。 そして、この映画のように世の中がならないよう、わたしも精いっぱいいきている。 自民の憲法改悪にいかって、も、4党ほぼおなじ生活未来維新みんなの党(勝手連)の公約は実質的に憲法を破壊する。議会政治の根幹議員定数を半減し、一院制にし、人権保障の為に政治家より優れている場合もある超優秀な官僚を削減廃止し、行政を立法化し、馬鹿でもなれる洗脳選挙政治家の独裁を可能にする公約は事実上憲法に定められる民主主義的権利の多くかほとんどを既に破壊している。 そのうえで、議員を企業ぐるみ選挙や原理議員だらけにしそれからゆっくり「反自民原理反共原理」反欧米で軍拡核軍拡核軍拡利権でかせいだ上、憲法改悪で、さらに人権保障そのものを破壊しようとしている。 反自民原理、反共産原理の人々の愚かさは「いまそこにある」憲法人権の実質危機を国会で議会で実行している維新生活未来みんなの党の反人権反憲法政策公約に対しては(反欧米反共原理で?)まったくといって無知無関心無感覚でいながら、すっかり「反自民」に集約され、その結果、自民よりわろしの生活維新みらいみんなの党の人権破壊憲法破壊民主主義の権利手続き破壊側へすっかり陶酔している場合ではない。