人類は、真剣に、脱原発法律制定と原発輸出禁止法案を国会で可決するための動きを早めなければならない。
http://kalina-movie.com/
昨日は友達に誘われて「カリーナの林檎」を六本木シネマートに観にいった。
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冒頭、原発問題は今わが国自身が最大の問題のしかも輸出国としてまでかかわろうとしている核兵器開発の問題であることをきちんと述べていて、それが公開まで8年もかかったりした理由のひとつかとも思った。
日本の原発輸出は明らかに核兵器のアジア拡散への足がかりの隠れ蓑である。
そして原発は止めても使用済み核燃料を「ほっておけない」「IAEAも日本が所有するプルトニウムを懸念している」との逆手に取った言いくるめで再処理工場や原発よりより危険性が高い再処理工場やもんじゅ=純粋プルトニウムを途中で取り出すことが真の目的のテロの危険性もきわめて高いまさに核兵器開発を目的とした施設は原発とは別に存続させるための脱原発運動囲い込みのために「反原発派「デモ」」は行いながら「使用済み核燃料はほっておけない」と核開発の原料製造は放置する核開発積極派による「反原発」風に囲い込まれないでほしいとの私の願いはあの映画の冒頭数十分への共感でまずはいっぱいである。が、それは米国へ向けられる言葉であってはならない。まさにいまったった今も、日本自身が原発輸出、使用済み核燃料のインドへの輸出で、行っている、日本自身の罪なのだ。米国へ向けないのは、あの狂気のファシズムでアジアと世界中を狂気の暴力と陵辱と強奪という人間の果てしない悪性の限りを尽くした日本が、科学者を追い込んだ果てに、人間が開発してはならない核開発が存在したという、その経過を、アジア中を陵辱と暴力と強盗の限り思いつく限りの残虐の限りを尽くした日本人は、まず、侘び反省し、そのような暴力に引きずり込む勢力が残虐の限りを尽くす日本のようなファシズム犯罪が世界中にあり、現在も火を噴いている中、まず通常兵器とファシズム犯罪の防止検挙をさらに強めていった先に出なければ、核兵器を持つだけの歴史的根拠ファシズム暴虐との闘いに勝ったアメリカイギリスロシア中国など大国の核兵器所持はやむをえないと私は積極的に思っている。まずは通常兵器・そして人間を狂気に陥れる毒物(大麻コカインヘロインなど)や原理洗脳犯罪との闘いが先である。でなければ、要するに原理主義暴力殺戮集団やギャングミリタを取り締まるあるいは牽制する側をいじめ手足を縛ることで結局、はてしない残虐な暴力の元に人間をひれ伏せさせることだけが狙いのそのためにどんな手段も使ってくる原理主義暴力暴虐ミリタ犯罪の思う壺である。原理主義犯罪集団が警察の通常最小限度やむにやむを得ずの武器(しよう)を「糾弾」する一方で市民の武装や武器の携帯を[推奨」するのと同じであり、「大国主義」という非難や差別いじめは実際には原理主義洗脳暴力集団や原理主義洗脳によるモブ犯罪(大衆暴動など)から市民を守る側をあたかも悪者のように洗脳することで原理主義暴力暴虐の限りを尽くすことを止める側を弱体化作用という極めて悪質でずるさのきわみの一種の洗脳である。そして、原爆開発は、まさに、「今ここ(日本)にある危機」、日本人自身が日本人自身として最も糾弾し闘うべき論点問題であり、その根本的な問題は、モックスならと核兵器開発を意図的に内包する核「リサイクル」と称する核兵器開発を追及できない自身にこそ、日本人自身から突きつけられるべき問題だ。米国が問題ある動きがあればもちろんいうべきことは言う。が別に問題ない。問題だらけなのは、日本自身なのに、アメリカに「洗脳」されているとかいって、モックス(mox)や核「リサイクル」施設やあるいは直接的に核武装を日本の「権利」とか言っている人たちこそまさに軍拡原発原爆利権産業の一端で食べている人たちの詐欺まがいの洗脳である。追及するなら日本のもんじゅや再処理施設を原発同様追及するべいなのだ。それをできずに米国の核開発が問いっている人たちは核兵器弾頭を米ロが減らした事実には口を閉ざす。
第二次世界大戦で日本が悪行の限りを尽くしたことは絶対に追及しない暴かない「反原発」を私は信じない。現在形で、「リサイクル」と称し、核開発をしかもアジアへ輸出することを肯定するために「反米」となすりつけごまかしいんちきを嘯きながらアジアへの軍拡軍需産業と核開発産業でもうけることをごまかす詐欺商法が「反原発」というのを私は絶対に信じない。
そして、今、世界で最も懸念される、大問題の国、それは、日本であることを、ごまかすために、米国の商業主義が、などといっている人たちの反原発は、たんなる、詐欺の手先であるに過ぎない。
世界で最も悪い国になりつつある日本、それは、主体的に、「反米」原理洗脳に調子よく乗り、アジアへの核開発軍拡で利権をむさぼるためだけに、原発はともかく、再処理施設はの原発核開発利権で私服を肥やすためにだけ、「反米」による、アジア軍拡アジアへの武器輸出(中国韓国と日本でアジア産武器産業でうまく儲けましょうやの、保護主義を正当化するための武器だけはのアジア保護主義による高値のアジア産日本産武器で設けようとするのを正当化するためだけの反米反大国主義反共による「日本産武器の差別化」といういんちきは、もうかればなんでもいいのかと後でアジア中からののしられ、中韓の怒りを買い、はては、米ロ中韓インドの大連合に、日本要らないといわれる自滅への愚かであさましく恥知らずな惨めな強欲なだけの無知無能ないつかきた道でもある。
核兵器開発こそが、原発産業の大きな理由であることを、冒頭に置いた、今関あきよし監督のこの映画は、きちんと、反原発はかならず自国日本自身の(もちろん世界各国のでもあるが)核兵器開発への反対と密接不可分であることをきっちりと述べたその冒頭に、大変な重みの有る映画である。
が、その矛先は(ひつこいようだが)、まずなによりも、日本自身である。
世界で最も懸念される核開発疑惑国日本。そのことは現実だ。
しかも、ひつこいようだが、原発輸出だけでなく、
小沢一郎氏が提唱する、「反米」原理洗脳による(一種の詐欺)、
日本武器を差別化し売り込みアジアの軍拡核軍拡の担い手としての日本を利権でむさぼりつくす小沢一郎氏の日本産軍需軍事産業の推進を追及できないならば、
、単純に日本自滅の利権の為にアジアに日本製武器と書く原料を売り込むために使われるだけで、馬鹿である。それは、日本自滅とアジアへの苦しみの輸出であり、「反米」といういんちきでどれだけ正当化しても頭が悪いことを認めているだけで、何も平和的な進展にも人権保障にも一切つながらず、なんの人権保障にも意味はない。
ご本人達が「反米」ならあたかも正義であるかのような原理洗脳ですっかりいい気になっているだけであって、実際には日本の核開発も原発も日本のアジアを食い物にし日本「産」武器を差別化し、日本「産」純プルトニウムを「反米」「アジア製」であるということだけで高値でアジアに売り込むという、アジアの破壊と自滅へのアジアを食い物にする汚い国最低の国日本といわれかねないところにいる日本の日本製武器製造正当化の「反米」という詐欺を追及できない人たちは単純にアジアを食い物にする軍拡核兵器拡大開発にそして日本人が餓死することも「いとわない」狂気の国粋自滅への原動力としてモブとして利用されているに過ぎない。すっかりご本人達はアジアと日本のためにというおつもりだろうがピエロの自己満足はあなた達である。
アジア軍拡・核軍拡を正当化するためにいえていない[反米」[反大国主義」[反共」をもちだし、なんでもいいから、利権をむさぼるために、アジアを食い物にする人たちを、あたかもヒーローのように崇め奉る日本の大新聞のなかにも、良識良識ある人たちはいると思う。あるならば、日本の日本産軍事産業の振興や核輸出武器産業軍需への道を止めるための真剣さをみせてほしい。もんじゅは地域の人たちの病院や保育施設になっているなんておためごかしで国民への原理洗脳(しかも日本自滅の)に妥協するのはいいかげんにしてほしい。
地方への予算は本来的に地方予算補助金でつけるべきもので原発の立地予算として出されるべきものではない。
まず、日本が長年にわたる主体的に進めていた(特に日本の政治家の一部右といわれる人たちの軍事利権狙いと反米テロ的発想の元)核開発、核開発の元として厚く法律で保護されてきたほぼ何をしてもオッケーの原発「事業」という名の、軍事核兵器開発の為の、高価な高価な非効率際まりない無駄で危険で国民の命を危険にさらすどころか核物質による近隣地域の住民の国家による殺人を最初から内包する「発電」、原発事業、は、日本が積極的に進めてきている。アメリカのせいにするのは恥である。
武器部品をアメリカから安く購入できるようになるTPPに反対の人たちを私は信用しない。
農業戸別農家を支えるための、そして絶対にあってはならない農業の大型化(日本のいくつかの企業が主大抵に検討中である。アメリカのせいではない。なんでもアメリカのせいといっている人たちは詐欺原理である。だまされてはいけない。その詐欺はつまり「日本人が悪いといわれたら全部アメリカのせいにすればいい」のパターンは大嘘だ)にもっていかれないためにも、
たとえば、日本共産党が率先して国会で徹底的に主張してきている米の価格保障が大事だ。TPPで苦しむのは、当面は、特にアメリカカルフォルニア米の味が日本米に切迫してきていることから米農家だろう。その支えのだ一歩は端的に米の買い取り価格の保証制度をより充実させることだ。でなければ米農家はいなくなる。米農家の投資や労働コストをささえるだけのまともな買い取り価格にしなければ、TPPがなくても米農家はいなくなる。大企業化が問題なのは何度も書いてきたが、外国であろうとなかろうと、企業の米の買占めを事実上許し、米の公定価格(売り渡し価格)を事実上無にするからだ。そのことはつまり、国民のほとんどの口には入らない米農業ということが生まれかねない。そして、この先農産物は、ますます貴重さを増す。そのときに、戸別農業であれば、それぞれの農家(あるいは協同組合)の良識を頼りにできる。また大型化企業化では、その企業が崩壊すれば一気に主食である米が一気に流通できない事態もありうる。また、一粒たりともほとんどの日本国民の口に入らず、輸出のほうが儲かるからほとんど輸出に回しましょうということもありえるのが企業化の怖いところだ。ありえるからだ。しかも企業行為となれば、法律で国内に販売することを義務付けようとすれば、[経営の自由」を侵害するという形になりかねない難しい問題もはらむことになる。その点、公定価格という制度、国民に安く安定的に食物を供給することを維持するためには、個別農家がそれぞれがんばって続けていってもらい、農機具やさまざまにひつような購入を共同で行う効率農業経営を協同組合形式を維持することが望ましい。問題は、買い取り価格を政府が農家への大型補助としてきちんとまともな価格にできないところに問題がある。
買い取り価格中心に絞った対策を訴えていたまともな党は日本共産党である。そのほかには社民の一部および自民公明のごく一部もすこし「理解有る」姿勢を見せる。
話はそれたが、まともな政策をすすめなければかなり危ないところに日本はいる。
特に原発は再処理施設と共に直ちに、1年以内に、できるだけ今すぐにでも、全原発止めなければならない。
だけでなく、原発輸出も止める必要がある。
ベトナムがどうしても原発がほしいなら、そんなにアメリカが原発アジアへの輸出に本当に熱心なら米国に輸出してもらえばいいだろう。ところが、実際日本と最後まで争ったのはフランスとロシアと韓国である。
アメリカではない。日本が主体的に原発を(核を)ベトナムに売りたがっているのだ。
恥ずかしいことである。
なにが非核だ。原爆を落とされた国だ、とののしられても、言い返せないことを、日本は特に小沢一郎氏の力影響力が強い民主党政権下で行っている。それは、鳩山政権の下で始められたことだ。あの小鳩政権が、はじめた日本の原発輸出積極策は、まさに、二歩人自身が糾弾すべき恥悪行であるが、多くの一見「左翼系」の謎の団体の「反原発」は、なんでもわるいことはあたかも米国の輸出とお仕着せということにしておきながら、核兵器開発の元凶の再処理施設ともんじゅによる純プルトニウム生産や輸出原発輸出再処理施設は暴かないし追及しない(できなのだ。もともと核開発原子力産業の資金で「デモ」を組織し、[反国家」を原発反対をくっつけることで、全ての反原発運動をあたかも反社会的行動であるかのように市民から切り離すためにそのようなデモは原発核兵器原料推進派・あるいは、おもむろに「反米」といういえてない合理性ない根拠のないいいがかりとなすりつけによる正当化により日本武装を[日本の自由の夜明け」とよんでいる極右のような軍事産業利権屋の資金で行われているからだ。こういう連中こそ国益に反するのに、こういう連中こそTPPで安い武器が手に入らなくなると軍事利権が儲からないという一転においてTPPを国益に反するとうそぶくいんちき詐欺私利私欲でTPPを邪魔しては、TPP加盟をあたかも「国益を損ねる」といえてない「反米」「日本製武器による安全保障(なべ釜拠出で日本製の武器で、アメリカロシア中国韓国シンガポールマレーシア世界中敵に回し世界中に大迷惑をかけ世界中の人々の尊い命を奪い去り暴力と残虐の限りを尽くし人間としても恥をかいた第二次世界大戦、たっぷりたっぷり日本製武器はありあまっていて、その日本製武器の軍需産業のせいで米中露世界中へ紛争を売り込んだり侵略する羽目になった歴史的事実を知らない人は多いのだろうか?)。結局いえていない[反米」[反大国主義」「日本製武器の「戦略的重要性」」という嘘詐欺いんちきとそれによる(要するに軍需利権狙いの私利私欲のための)TPP反対をあたかも正義のように言い募りながら国益を損ねている人たちはいないだろうか?
事実オバマ大統領の米国は非核で原爆核弾頭をロシアと共に投げ捨てあっているほど非核へ向かっている(からこそ米国一部財界「利権」関係者から不評なのだ。思いっきり原発族にメスを入れ核開発族が失職の憂き目に会っているからこそオバマ大統領はいじめられている。そのことはロシアでも顕著になっている。なんだかんだいいながら核兵器を減らし、北方領土の地熱は両国の福祉の為と国際調和をすすめるメドベデフ大統領とプーチン首相は、本来国民に支持されてしかるべきロシア国民の為になる政治を行っているが、悲しいことに国粋原理に洗脳されているかのようなところも有る一部国推計の国民に嫌われているという結果が世論調査で出てきている。一方極右国粋でロシアの自滅を狙う側の政治傾向を持つ団体のほうが人気が出ている。)
日本人は、しっかりしなければならない。
脱原発は日本人として国民の義務であるといってもいい。
そして、非核は日本人としての義務であるといっていい。
そのことはしかし、原爆を落とした米国にではなく、原爆をつくらせるような残虐の限りを
日進日露戦争で味を占めた軍事産業武器産業への依存と国民の税金で武器を納入することを[国策」とすえた腐敗軍事利権政治家とそのような軍事利権待ちの軍事産業の株をもってうかれていた(今で言えば東電株を持って原発を止めさせないとしている)浮かれ株主が日本を狂わせた。軍需産業武器輸出が産業として肥大化すれば同じことだが、そのことは、多くの世界中からの避難となって帰ってくることも十二分にありうる。原発・再処理施設を全部止め、東電を風力地熱太陽光でもりあがるスマートグリッド輸出の健全産業にすることが東電株主にとっても安定利益の元である。
悪魔の原爆を作らせおとさせた(おとされた、ではない)日本人としての責任のありかた、それは、
核兵器も原発も地球からなくす、ことに尽きるであろう。
ちなみに、カリーナの林檎は、作品として非常に伸びやかで、登場人物それぞれが生き生きとしていて、
きらきらとそのいのちを輝かせているところに特色がある。
ドキュメンタリーだけでなく、映画(多くの事実から積み重ねられたしかし表現として選び取られたフィクション)の可能性というものをあらためて強く感じた。この実話をそのままドキュメンタリーでみせられることには苦しさの有る人たちも多いという風に感じるからだ。
映画を全部観ることで、核の怖さというものの様々な具体的現実が最終的にうかびあがるようになっている。
「アイコ、16歳」でメジャーデビューした今関あきよし監督の映画作家としてのその位置へのこだわりとその映画作家として表現することの意義の確信に基づいた、やわらかな感受性が作品を貫きながらも、その核開発核利用が人間にとってどのような意味を持つのか、ということをしっかりと描いたすばらしい力強い作品である。
原発事故はいまもベラルーシの各隔離立ち入り禁止地域で放射性物質による放射能の放出はもちろん続いており、その汚染を増加し続けている。この映画が作成された2003年の時点でも、現実は変わっていないことを、この映画は、静かに、のびやかに、しかし、しっかりと私達に教えてくれる。
もう、日本は福島原発事故だけで、原発がどれほどひどいものか理解したはずである。
そして、私達は福島県で被害にあわれた方々の無念を無駄にせず、
被害にあわれた方々を絶対に置き去りにしない、そういう様々な長期の継続的かかわりを東電による損害賠償と国レベル地方レベルで担保する法律を国会で作っていかなければならない。そのためには法人税減税の財源も復興財源に振り分けるべきである。ただし福島県の被災認定企業は全面免除あるいはそれに近い部分免除を単年度から数年度にわたり認めるという配慮を見せればいい。
そして、なによりも、地震竜巻洪水津波やテロなど物理的破壊で3時間後には炉心溶融が始まる原発は、その後40年近くの間日本だけでなくアジア地域のプレートの活発な活動の前兆に過ぎない三陸地震がおきたということの事実を踏まえるなら(また35年後の巨大隕石の接近を念頭に入れるならさらに余計に)、ただちに全原発・再処理施設・「リサイクル」施設を廃炉解体閉鎖をすすめるしか、日本の、だけでなく、近隣諸国韓国中国台湾シンガポールマレーシアの明日はない。
アジア破壊を原発日本と地震で行うなど、誰が予想だにしただろうということのないよう、現実的に既に誰でもわかるとおり絶対に日本中は大地震にみまわれるとわかっていながら、その大地震で圧力容器が破壊される高い蓋然性を放置し、しかも危険な使用済み燃料を原子炉に置きチェーンリアクションチェーン溶解を起こすことを余儀なくしていた日本・東電への世界からの損害賠償で日本は原発飢餓原発事故汚染難民になっても誰もどの国も受け入れてくれない、国連が頭を10000万遍下げてやっと受け入れてもらえたなどということのないように、どれだけ損害賠償で償っても償っても償いきれない傷をまた違う形で愚かにもアジアに日本が負わせることのないように、絶対に原発・再処理施設リサイクル施設は直ちにでも、負荷ストレステストの1年間全原発だけでなく文殊を含むリサイクル再処理施設と全基停止している最中の早い段階で、完全停止廃炉閉鎖を進めていくしかない。
国会で脱原発法を超党派で可決し、とめなければ、明日の日本は又アジアと世界に頭を下げても下げたりない、日本となる。
そのとき、あのとき(3・11)とめときゃよかったんだよ、俺達は馬鹿だったと後で言っても後の祭りである。
ちなみに、よく日本共産党のことを赤と呼ぶ人に私は人知れず思う言葉が一言有る。
「あの時日本共産党や社民の一部リベラル系経済界財閥を「アカアカ]呼んでた連中の利権軍需産業株の目先の儲けに踊らされず、開戦していなかったら、日本は未来永劫世界中にアジア中を傷つけることもなく、原爆も落ちなかったのによ」と。
日本共産党や一部リベラルのいうとおり、まるいは、外国かぶれといじめられた山本五十六氏のいっていたとおり、開戦せず、あんな非器用な一生の日本人の恥となる、恥中の恥、ハワイへの「奇襲」渡渉する、無宣告虐殺(明らかにずるによる全く理由なき恥ちゅうの恥、何の罪もないハワイの人々への(アメリカ北米へであっても同じことだ。日本の無理な中国への侵略を国際連盟で避難してくれたことを感謝すべきだったのにひらきなおりの居直り強盗日本が国民に見せた大見得はなんと何の罪もない米国人やアジア人への虐殺に過ぎなかった。その大虐殺はそして「自前の」[西洋の言いなりにならない」という言い訳の正当化によるだぶついた日本製武器産業の武器をさばきそのことで利権を得るための他国人への虐殺・中国の国内の政治情勢のどさくさにまぎれた(日本を正義などと言いくるめるのは詐欺に過ぎない。どさくさにまぎれて右よりの集団を傀儡にし侵略を正当化しただけに過ぎない。そもそも日本の武器産業は日露でロシアの国内情勢つまりロシア革命にかこつけて「反共」を錦の御旗にかこつけて詐欺同然でロシアをどさくさまぎれに襲い軍事産業で大もうけし味をしめた。中国の国内革命も「反共」にかこつけてどさくさにまぎれ正義のフリで軍事で儲ける為中国への侵略を盧溝橋事件のいかさまで正当化した。汚い国といわれても無理のない日本の軍属軍事産業の肥大化で軍事産業株で儲けることにだけ固執する一般大衆があの惨めで醜い金儲けの為のしかもどさくさまぎれにみみっちく侵略しては正当化、果ては、はずかしいことはやめなさいと米国ロシア中国欧州もいさめてくれたのにもかかわらず、国際連盟で馬鹿だからまるで日本が正義化のように大見得切恥の上塗りで連盟脱退し、したことといえば、あの、だまし討ち、真珠湾攻撃で、ますます、世界中の日本のズルさに怒り心頭で、連合軍は絶対に負けまいと誓って、命がけで日本やドイツイタリアをいさめてくれた。
そのことに私は今でも感謝している。
原爆という武器はしかし、許されてはならない、非人道的武器であることは代わらないにしても。
原爆という恐怖の武器を生み出したのは、私達日本人の狂気のファシズムの徹底した殺戮と残虐性略奪行為の異常なまでの徹底である。(ちなみに、東京大空襲と同じくドイツも大空襲を受けた。ドイツに原爆が落とされなかったのは、ひとえに(ご存知のない方は多いかもしれないが)ドイツ軍隊軍部そのものは、反ナチスである軍隊大師団が多く、そのドイツ国内ドイツ軍部内の徹底した反ナチス活動反ヒットラー活動は(で多くのドイツ師団そのものドイツ軍人が軍事法廷で銃殺されたことは史実である。とりわけ、ナチスのヒットラー費村ー暗殺を指揮したのは正気の人が多くを占めた正規のドイツ軍そのものであり、多くが殺されても殺されても立ち上がりヒットラーとナチスの中枢(一種の原理洗脳と催眠術の組み合わせである)破壊の為に戦ったいわゆる強制力講師の手段を持つ側のドイツ軍そのものの反ナチスレジスタンス活動への期待は一定可能性があったためと思われる。また原爆を落とすことでそのようなドイツオーストリア欧州にちらばるドイツ軍および連合軍側であったフランス軍、そして徹底的な命がけのレジスタンス活動を行って多数がなくなったがそれでも立ち上がり命の全てをかけたイギリス軍や多くの命がけの反ファシズムの流れも大変に強くそうも扱ったイタリアスペインのレジスタンス活動その他ロシア中東も合まっての欧州人レジスタンスを破壊してはかえって意味がなかったからだ。欧州のレジスタンス活動をかえって破壊することは避けるべきと判断したからだ。しかもドイツヒットラーはひそかに原爆を開発中だった。とすれば、原爆への反撃は製造途中の原爆であった可能性もあったからだ。
他方、日本のレジスタンスは、日本共産党や一部社会党系左翼への弾圧を一般国民や一般企業の多くが追認しむしろ戦争反対やファシズム反対日本軍への批判や東条軍政への批判を国民が差別し、日本のいわゆる国粋ファシズムと軍事産業株に浮かれ軍事産業株が値上がりすれば何でもいいという人たちの浮かれた気持ちで、日本のファシズムを日本人自身がとめることのできる可能性がかなり薄かったからだ。
この点、まことしやかに原爆を日本への「差別」というのは従って的外れの言いがかり、国粋系民族原理からあるいは日本の侵略戦争をなんとか正当化しようとにほんをいさめてくれた連合軍を悪者扱いするための事実誤認に過ぎない。
ちなみに、国民に守られ国民をファシズムから守ったレジスタンスの多くは共産党員や関係者であった。そのことは共産主義の好き嫌いを超えて、必然であったのは、そもそも、戦争は行き過ぎの資本主義がいきすぎの軍事産業と結託したときにおきる軍事産業軍事利権構造に必然的に内包されるものだからだ。人種や宗教の違いなど表面的な理由は実際は関係ない。人間は話し合えば解決できる能力を持っている。が、話し合い紛争を非軍事で解決することを嫌う人たちそれは、人を殺傷することだけをその内実にする道具=武器に投資する限りその投資を回収するためにはどうしても戦争・武力紛争を必然的に最初から想定するものであり、そのようなどの国にもいらない産業を自国でつくり育てることは自滅の元を作ることであるのに、そのことに突き進み儲けたい人たちが
死ねば死ぬほど儲かる構造を喜んでいる軍事利権政治家軍事利権殺戮平気専門のブローカーが
ナチスとイタリアムッソリーニ(ナチスもイタリアファシズム政党も軍事侵略や移民差別移民の資産を[合法的に]略奪することに批判的に立った共産主義政党(国民に人気があった)とナチスに原理国粋洗脳で取り込まれなかった一部社会主義リベラリズム政党と見分けをつきにくくしながら擦り付ける為にあたかも社会主義[運動]」と称されていた。が、イタリアにもドイツにも(日本にも)きちんと共産党は別に長いこと存在したが、多くのリベラリズム運動を支えた教員組合の多くを、たまたまジューイッシュ軍人の賄賂授受受け取り事件からジューイッシュを追及しないことのほうが[差別」であるという差別を正当化するレトリック詭弁でジューイッシュを差別しないほうをあたかも[ファシズムである」かのように差別するほうをあたかも「正義」のように取り込んでいった。そのときに、まともに差別に反対したドイツ共産党やイタリア共産党を弾圧する側に回ったのが、ドイツであれば従来のリベラル組織であったはずの社会主義系教員組合を中心にした国民的(宗教の違いによる原理洗脳による)国粋運動への転向である。それまではキリスト教系極右が中心となっていた差別と強奪の正当化だったが、一気に国民の中心的「運動」になっていった理由は軍事産業と侵略の合理化に邪魔だったジューイッシュ富裕層や共産党富裕層への弾圧で軍事侵略を正当化しようとする軍産利権政治家と投資家が教員組合員の国粋を煽った結果でもある。ナチス党員バッジはゲームのようにポイント制になっていて、多くの教員組合員がジューイッシュへの差別やジューイッシュ差別を行わない共産党への弾圧排斥を手柄としてナチスによる裕福なジューイッシュへの略奪強奪強殺が「(経済的幸福より)精神的価値の上位」として(バッチしか報酬はない)美談として広まっていったことは恐ろしい事実である。そして、いまもネオナチはドイツでトルコ系移民の虐殺を競っていることは、つい先日もネオナチ組織の逮捕であきらかになったばかりだ。
レトリックに弱ければ、国粋原理洗脳に弱ければ、わるいをよくおもわされ、よいをわるいとおもわされると、
足腰の弱いリベラル運動は一気にいつでもナチス(一見社会主義のようでも、実際は軍事紛争武器産業自前の武器産業振興や自前の核兵器開発、国粋あおりと、対外国家排斥、外国敵視など軍産利権のためならなんでもする極右軍事利権派)に使われるだけのことだ。
そして、日本は、今とても危険なところにいる。
いつでも極めて薄氷の上の存在だ。
今後の原発被災だけでも食い止めるために、まず、原発・再処理施設・「リサイクル」施設だけでも、
かならず、早急にとめ廃炉解体するしかない。